たっちゃん

写真 2014-04-21 21 35 48昨日は仕事終わりの新宿でex.SPOKE!,ex.PETのドラムを叩いてたたっちゃんと呑んで来た。

たっちゃんとの出会いはもう15年以上まえだろうな、下北のSHELTERに3.6milkがライブで来た時に打ち上げでドラムのMC-YO1から紹介してもらったところから始まる。当時ホントそのタイミングで上京して来たばかりだったたっちゃんが仕事を探してるって話だったので、俺が働いていたデリバリーの弁当屋さんを紹介した。

ちょうどたっちゃんが引っ越して来た部屋がその弁当屋さんの目と鼻の先だったので昼の休憩時間とかもよく一緒に遊んでた。何より同い年だったのも大きかったかも。そんなたっちゃんから教わった関西のバンドがFULL SCRATCH、GOOD4NOTHINGとかGORILLA ATTACKをはじめとした蒼々たる面々。同い年の関西のバンドシーンのバンドってサブロクくらいしか繋がってなかったからそう言う意味で当時ツアーを始めたばかりの自分に取ってすごくでかいパイプができたわけだ。

当時はまだSHACHIもリリースしていなかったので先にリリースを経験していたSPOKE!の話は本当に色々為になった。だからこそ1stのpower of lifeの時の帯にコメントをもらったくらい。

SPOKE!の解散ライブも、PETにたっちゃんが加入したときも全部見に行ってた。たっちゃんのタイトなドラムが結構好きだった。

それから自分らがツアーバンドとしてガツガツまわり始めるようになって、あまりバイトに行けなくなっちゃって自然と除籍してからお互いバンドも忙しくなって会わない時期が続いた。そんな中たっちゃんもPETを脱退して音楽活動も止めると。思い返せばその頃に同い年のバンドマンもどんどんバンドを止めてしまった時期だったな。

音楽活動から離れてしまったたっちゃんとはほとんど顔を合わせる事も無かったんだけど、SHACHIの解散の時はメールをもらってた。気づけばfacebookも始めてて、もちろんフレンド申請して繋がった。そのfacebookのおかげで先日のSPOKE!の復活ライブも見る事が出来て、久しぶりの再会を果たしたわけだ。

そしてBURLのドラムとして加入する事になり10年以上住んだ東京を離れて大阪に戻るとの事で最後にもう一度会って話をしたいなーって思って連絡してみたら今回こうやって時間を作ってくれたわけだ。

俺にとっての良き仲間であり、アドバイザーでもあるたっちゃん。普段は関西のおもろい兄ちゃんだけど、時にすごくまじめな一面を見せるところにホント奥深さを感じる人間だ。何より嬉しかったのはまたBURLでドラマーとして現場に帰ってくるって事だな。やっぱりバンドやってればいつかまたこうやって会う事が出来る人っているんだなと。音楽ってすげーなーって思う。

俺の人生の中でたっちゃんに出会っていなかったら会えなかった人はたくさん居ると思う。「人生を変えてくれた人」にふさわしい一人である事は間違いない。昨日は本当に旨い酒を呑む事が出来た。また早いタイミングで大阪で会えたらいいな。対バンもできたらいいな。

ハンヂさん

サンペーさんに紹介されて、ロリータ18号のマサヨさんと一緒にハンサム兄弟のハンヂさんを紹介された。初めて一緒にやったのは、pOOPERsCOOPERcENTREのレコ発の下北沢Queだったと思う。
東京からでてまだ3年生くらいの自分らにとってMCで遠州弁をしゃべっているハンヂサンが強烈だった。
打上で早速仲良くなって、ハンヂさんの周りにいた合体ロボとかガスボクサーのメンバーとかと仲良くなった。
このハンヂサン。見た目が超いかつくて、絶対HCの人だと思ってマジでビクビクしながらしゃべったと思うんだけど、めちゃめちゃ気さくで面倒見が良い人で、あっという間にとけ込ませてくれた。何だか人を引きつける力がある人ってこういう人を言うんだと思った。
その当時立ち上げてた「バブレコード」っていうのがすごくて、完全に自力だけでいろんなことをしていたわけです。プレス、営業、制作など。いわゆるインディーズ。
それを見てからかな?すごくそのインディーズってものに興味を持ち始めて、自分もやりたい!って気持ちにかられた。バンドを転がすことの楽しさを教えてもらった瞬間かもしれない。
それからハンサム兄弟のライブによく足を運び、三茶のヘブンズドアの前でよくみんなと一緒に酒呑んでたな…。そこでヘッドスライディングとか、本当に色々なバンドに知り合った。
その後ハンサム兄弟がバブレコードの流れからリアス式海岸レーベルに所属し、ヘッドスライディングが第二弾アーティストとしてリリースした時に、そのつてで「脳みそドガーン」というオムニバスのCDへの参加が決まった。そしてその流れでリアス式海岸レーベル第三弾アーティストとしてSHACHIのリリースが決まったのだ。
SHACHIの単独音源をリリースできるまでの流れで本当にお世話になった人なのです。
そして、今もなお現役で自分のやりたい道を突っ走っている大先輩です。
たぶん、これから先もずっとファンであり続けると思う。

サンペーさん

東京に出て間もない頃、大学もあった世田谷に住んでいた。
大学に入って軽音楽部に入り、パンクな先輩から下北沢という街の存在を教えてもらった。
下北沢の町に行ってびっくりした。浜松では探さなきゃないくらいのライブハウスが、堂々と町の中で存在していたのだ。とにかく下北沢を一人で歩きまわって見つけたライブハウスが下北屋根裏だった。
一人で階段を上がって、チケットをとりあえず買って中で初めて見たバンドが中国釣具店だった。後にブッキングで何度か一緒にやらせてもらった。
とにかくそのステージに早く立ちたくて、SUBEを加入してSHACHIを再始動させてブッキングライブに出た。
そこで知り合ったバンドがELECTRIC EEL SHOCKやpOOPERsCOOPERcENTREだった。
特にプーパーは確かHIDETAが気に入ってデモテープを貰ってきてその後ちょくちょくブッキングで会うようになった。
メンバー三人ともすごく良くしてくれた。ゴローさんとトーブさんはうちらが使っていたスタジオの店員さんだったってこともあって急激に距離が近くなっていったよう気がする。
SUBEがトーブさんの後輩だったりしたのもあるかな。
そこで人生を変えてくれたと思うのがベースのサンペーさんかな。
すげー不器用な人なんだけど、すげー器用に見えて、びっくりするくらいコネクションを持っている人だった。ひとつ上の先輩だったけど、すごく上の先輩みたいなオーラが出ていた。あの当時ロリータ18号とかスネイルランプとか雲の上の存在だったけど、そんな人達と普通に会話しているサンペーさんがすごく羨ましかったのを覚えている。
サンペーさんの作る歌もすげー好きだった。影響を受けたと言っても過言ではないだろう。プーパーなくしてSHACHI在らずって感じだ。
そんなプーパーと一緒にスプリットアルバム「犬御膳」を作ることになって、ジャケットの制作やCDのプレスなどに携わることになった。
当時アルバムをリリースしているバンドなんてホントにすごいバンドだったので、一歩先にアルバムをリリースしていたプーパーからレコーディングや制作について色々学んだ。そのノウハウをひとつずつ丁寧に教えてくれたのもサンペーさんだった。
その時にIllustratorとかを教えてくれたのはTraditional boxのイシハラだった。当時はマウスマストってバンドやってた。よくイシハラの家にサンペーさんと一緒に通ってた。
初のレコ発ツアーってのに連れていってくれたのもプーパーだった。
その後また人生を変えてくれた人ハンヂさんを紹介してくれたのも、下北の屋根裏といい関係になれた間にいた人も全部サンペーさんだった。
プーパーが解散してから他に色々とバンドをやってたんだけど、いつの間にか前線から見えない場所に行ってしまった。たまに連絡はしてたんだけど、忙しいのか会えることは殆どなく今に至る。
梅ケ丘で毎日のように会ってたあのころが懐かしい。
「インディーズ」って言葉をきちんと教えてくれた人はサンペーさんかな。