地震翌日
2011年3月13日
とりあえず不安な夜だったけど、ユウも家に来て何事も無く朝を迎えた。
昼前にはユウも家に帰って行った。ユウの家は大変だったみたいだけど・・。
当日連絡が取れたのは八戸の田村さん、宮城のex.#9のユウさん。酒田の仲間。
仙台・郡山・盛岡の連中はまだ連絡が取れない。内陸だから津波は大丈夫だと思うが心配は心配。
何かできることをやろうとは思うけど、できることの少なさに自分の無力さを感じる。
とにかく今は連絡を取って安否を確認して、それをみんなに知らせるのが自分の役割かなと思っている。
11日の地震は東京も揺れたわけで、備えをしていない部分があからさまになったわけだ。家にはラジオも懐中電灯もなかったし食料もままならない。もし何かが起きたらどうなるんだろう?とかマジで心配。
とりあえず下のコンビニに行って懐中電灯だけは買ってきた。カップラーメンコーナーに行ったらなんと全部売り切れ。残っているのは「辛ラーメン」系の激辛ヌードルのみ・・。俺的には大丈夫だけどこれ喉渇くよな・・水必要になるよな・・って事だよね。
その後もどんどん売れちゃって大変なことになっているらしい。ってかカップラーメンなんかじゃダメだろ・・って思うけど、あるに越したことは無いんだろうね・・。
そういえば静岡の実家には防災用のリュックみたいなのが常備されていたような気がする。乾パンとか色々入ってるリュックが・・。静岡を離れて16年になるけど、そういった防災意識はホント低下したような気がする。もっと真剣に防災について考えなきゃいけないよな・・。
とにかくラジオが必要だと思った。連絡の付いた東北のみんなはまず「停電」に困っているみたいだった。インターネットとかあらゆる電化製品に頼って生活をしているわけで、そのライフラインを絶たれた瞬間にいっぺんに歪がやってくる。
パニックになった瞬間から携帯電話は回線がパンクして使い物にならなくなる。そんな時に情報を確実に得れる手段がラジオなんだろう。
まだ大きめな余震が続く中、いつ何が起こるかわからない中、ラジオを持っておくことが一番大事かも知れない。