祖母のお葬式
2011年6月7日
朝7時半に起きて準備をして、京都駅でうどんを食べてから斎場に向かう。ミラクルだと感じたのは、自分の用事のすべてに今回の一連の流れがかぶらなかったことだ。
もちろんSHACHIが動いている時だったら日曜日にライブが入っていたらそれすらもキャンセルになった可能性もあるし、結婚式もちょうど一日前だったし。
何かこれすらも運命なのか?と感じる。
京都駅から地下鉄でもいけたんだけど、向島までは地下鉄だと440円、近鉄だと250円と意味がわからないくらい値段が跳ね上がるので、ここは近鉄に乗る。そりゃそうだろ。
斎場に着いたときにはすでに家の兄弟も全員そろってて自分らが最後な感じだった。
そこから葬式が始まる。ぶっちゃけ鎌田の時は参列しただけだったので、本当に20年前くらい以来の流れで全然段取りがわからない。
お坊さんが読み上げているお経も半分以上何言ってるかわからん。
「さっきも同じところ読んだだろ?」とか「いまかんだ?」とかいらん事も気になる。
ま、そんな時間でもやっぱり頭の中で「生と死」を考える時間を与えてくれた祖母に感謝だった。
前日通夜が終わった瞬間にすげー雨が降って、また葬式が始まるタイミングで空がカラッと晴れた。すべて仕組まれているかのように。
最後のお別れをして火葬。そして骨壷。
なんか映像とかでは何となく見たことのあるようなシーンなんだけど、実際に自分が居るとすごくリアルだよね。考えたくないけど、目の前にある現実と向き合わなくちゃいけない。そうやって人間ってのは今までも生きてきているんだし。
49日までは骨壷を家に持ち帰って仏壇に置いておくらしい。みんなで親戚の家に行ったんだけど、泣きじゃくっちゃってる人とかは全然居なくて、途中笑顔すら出る妙にみんな清々しい顔をしているのは印象的だった。なんか「いい」葬式だったと思う。
家族だけに囲まれて、取り乱している人も居なく、たんたんと事は進んだけど、20年ぶりくらいに顔を合わした親戚。たぶんこの葬式がなかったらまだまだ先まで顔を合わさなかったかも知れない親戚。
そんな人間たちをスッと集めてくれる祖母の力。そして人徳なんだろうね。
90歳までホントお疲れさんでした。
これで毎日通ったお寺、よく行ってた墓参りももうしなくてもおじいちゃんのところに行けるんだね。
って考えたら素直に「行ってらっしゃい」って気持ちになった。
淡白に聞こえるかも知れないけど、それでいいんだなって思った。うちの家系は。
あっという間の京都の滞在は月曜日に終わった。