祖母の御通夜
2011年6月6日
お通夜は18時からだったので、それまでに京都に向かえばいいだけだったので、昼の13時前くらいに家を出た。
急すぎたので礼服をクリーニングに出すこともできず、黒っぽいスーツだけあったので、黒のネクタイと黒の靴下を持ってそれっぽい感じに。何かこういったものって急すぎて何もできないんだよね。
芸能人とかちゃんとしてるな~ってホント思う。
新幹線に乗って京都まで2時間ちょっと。あっという間に到着。そこから近鉄に乗って宇治の方に向かう。向島って駅から徒歩で斎場まで向かう。googleマップってこういった時に超使える。
式場に着いたら両親と親戚が何人か来ていた。どうやら通夜は全員参加では無いようだ。
自分的には月曜日の朝10時に京都に行くのにバタバタするのはきついと思ったので、前のりにして前のりなら通夜も出れるやって感じでした。
今回の葬儀は親たちが話し合って身内だけでやるものにするって事だったのですごくこじんまりとやってた。
ぶっちゃけ焼香のやり方とか全然知らなかったから、行きの新幹線でGoogle検索。
そういえば家の祖母は生前まだ歩ける頃はずっと毎朝欠かさずお寺参りをしていた。だから自分たちも大阪に行ったときはいつも一緒に朝お寺参りに連れて行かれた。
お寺とすごくつながっている祖母だった。
それが信仰ってものなんだろうね。
でも、その大阪のお寺から宇治の斎場までお坊さんが来たわけだったけど、ホントは他の宇治の近くのお寺にその話を回されそうになったらしい。
どうやら毎朝来てた人って事に気付いて急遽またそこのお寺の人が「やっぱり」来たらしい。信仰って何なんだろう?ってホント思う。
祖母は自分の死後のこととか考えてお寺に通っていたんだろうか?
仏教は神様じゃなくて仏様をまつっているわけだし、何かお願い事をするって訳でもないし・・。
自分は宗教も特に決めてないから自分が死んだらどうなるんだろう?
とか、お坊さんがお経を上げている間いろんなことを考えた。
でも、先祖ってすごいな~って思うのは、その背中に人間の一部始終を見せてくれるわけじゃん。「お前も死んだらこうやってやってもらうんだぞ」ってのを自らの死をもって後世に伝えていくわけじゃん。これってすごいってホント思った。
その日はまだ棺に入っている祖母の姿は見ることは無く、そのまま京都駅前の宿に戻った。
夜は木屋町の方で少しだけ呑んできた。
最後のお別れを前にしてるのに、そんなに心重くも無く晴れてる感じはいつもポジティブだった祖母のおかげだろう。