モノと情報、CDと音楽、中古という概念はなくなっていくのだろうか
2020年3月2日
昨日も在宅で色々やることに追われそうな一日だったので家にこもってPC作業の続き。
前日ようやく切り替えが完了した自分のブログも気づけば10年以上やってるんだね。最初の頃はマジ2〜3行とかだったのが恥ずかしいw
しかし昼間は天気がすげー良かったな。こんな騒動がなくてやる事が山積みじゃなかったら間違いなくドライブ行ってたくらいな陽気だった。
そんな唯一外に出た時に中古家電屋で野積みにされてたCD。思いっきりlocofrankが面出しになってたのを見てめちゃ切ない気持ちになった…。
そのジャケット俺でも覚えてる。たぶんうちらのファーストと同じくらいのタイミングの作品だった気がする。ってことはもう20年近く前の音源だろうね。
CDって物なのでこういう扱いを受けるのが切ない。最近流行りの配信やサブスクなんかはそういった「中古」って概念がどんどん無くなっていくと思うけど、ふとした瞬間に目に留める事も減るんだろうなーって思う。
部屋の片付けしてる時とか、友達の家の棚だったりとか、レコード屋さんだったりとか、自分が欲していない時に「ふと」目に入ってくるのが「モノ」の気がするんだな。それを見つけた時に「あーあの時の・・」って思い出が一緒に蘇るのが楽しいんだよな。
「モノ」ではなく「情報」になると、それを引き出す行為をしないとたどり着けないものになってしまう。それが「検索」って作業。
整理も容易だし、省スペースで持ち運びを考えればこれ以上スマートな物はないだろうけど、手にする実感とかってどんどん遠のいていくんだろうなーと。
最近流行りのPayペイとかLINEPAYとかキャッシュレスも同じかと。財布に札束入れる人なんて居なくなる時代はそう遠くは無さそうだし。
まぁ言ってもそもそも音楽ってモノ自体が無形で、音っていう情報なんだけどねw
世界はエコにとか言うのに可視有形物を造りまくるのは相反する話かも知れないし。
難しいねーこれ。だいぶ哲学的な話だわ。
また何か思いついたら書こうかなこんな話…。
本日はここまでに。